沿革

昭和17年 大久野島東京第二陸軍造兵廠忠海製造所従業員・家族診療所として発足
昭和20年8月 終戦に伴い、忠海町に寄付
昭和21年12月 日本医療団に移管
昭和23年4月 広島県に移管
広島県立忠海病院と改称
昭和23年12月 政府職員共済組合連合会(現在の国家公務員共済組合連合会)に移管
昭和29年1月 「ガス障害者救済のための特別措置要綱」制定により、旧東京第二陸軍造兵廠忠海製造所従業員の療養のための医療機関として指定を受ける
昭和57年10月 耳鼻咽喉科開設
昭和61年10月 皮膚科開設
平成10年9月 整形外科開設
平成12年4月 呉共済病院と統合
国家公務員共済組合連合会呉共済病院忠海分院と改称

大久野島毒ガス障害者の診療

忠海町の沖合いにある大久野島には昭和4年から昭和20年まで旧日本陸軍の毒ガス工場が設置され、毒ガスを製造していました。
その間、多くの従業員が毒ガスによる障害を受け、戦後も長く続く後遺症に苦しみました。
昭和27年、一人の肺癌患者が広島大学病院を訪れたのが大久野島毒ガス後遺症の研究の発端となり、旧従業員の登録と健康調査が始まりました。
現在(平成17年8月)まで6,000人の健康調査が続けられており、後遺症の治療に当たってきた当院には4,000例を超える臨床記録が蓄積されています。

当院の対岸に浮かぶ大久野島

当院病歴室

びらん性毒ガスを扱う時の完全防護作業服

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